中興の祖である、山崎屋 利右衛門の長男 仙助が辻家にはいり辻仙助となったことから辻利兵衛本店の歴史がはじまる。辻仙助は、父 山崎屋利右衛門の頭文字を取り、辻家の商魂を(山に利・・やまり)とし、1860年に辻利兵衛本店の前身であり、また礎となる“”辻商店を起業。この時に辻利兵衛本店が受け継ぐ屋号““(やまり)が生まれる。
1844年5月24日生誕の仙助(青年期に利兵衛、晩年期に利右衛門と改名)は辻家に入ったのちに、当時親の仕事であった農耕と餅屋を手伝い、茶園をまわり茶摘みさんたちにあんころ餅を売り歩いていた。
幕末、徳川幕府としての数百年の威信が次第に失墜するなか、手篤い庇護を受けていた宇治の茶師たちはその庇護を失い、幕府の衰退とともに徐々に衰え荒廃していく宇治の茶園風景を目にしていた仙助は、1860年(萬延元年)に「こんな素晴らしいものを失くしたくない 」と自らの私財を投じて茶園30アール(約907坪)を買取り、立志伝中の想いで辻商店を起業。
※ 当時は汽車などもなく仙助は「東海道或は山陽道、時に九州までも草履で歩き、得意先を増やし秋から冬にかけて全国へ売り歩いた」と言われている
初代 辻利兵衛 (幼年期 仙助、青年期 利兵衛、晩年 利右衛門)
1844年5月24日 (弘化元年)山城宇治に 生誕 ※ 父 山崎屋仙助の長男 幼名を仙助、生長して利兵衛と称したのち、晩年に利右衛門と改名。
山利の商魂も父の家が代々山崎屋と称したから唄えたものであると伝えられている。
1853年(嘉永6年) | 仙助 9歳の時、京都烏丸六角の商家に奉公し質屋と両替を営む |
1856年(安政3年) | 仙助 12歳の時、郷里へ帰り、農耕の傍ら餅屋を業とする両親を手伝う |
1860年(萬延󠄂元年) | 利兵衛 17歳で私財を投じて茶畑30アール(約907坪)を買取、立志傳中にて辻商店を起業。屋号を“”(やまり)とする。 |
1868年(明治元年) | 苦悩・苦心の末、 玉露改良に成功。 利兵衛が玉露改良してからは、玉露は茶の中で最も優れたものとして知られることとなる |
1872年(明治5年) | 利兵衛の努力の結晶ともいえる新玉露「大門」を発売し、辻商店としての転機となる |
- 1853年(嘉永6年)
- 仙助 9歳の時、京都烏丸六角の商家に奉公し質屋と両替を営む
- 1856年(安政3年)
- 仙助 12歳の時、郷里へ帰り、農耕の傍ら餅屋を業とする両親を手伝う
- 1860年(蔓延元年)
- 利兵衛 17歳で私財を投じて茶畑30アール(約907坪)を買取、立志傳中にて辻商店を起業。屋号を“”(やまり)とする。
- 1868年(明治元年)
- 利兵衛 苦悩・苦心の末、 玉露改良に成功。 利兵衛が玉露改良してからは、玉露は茶の中で最も優れたものとして知られることとなる
- 1872年(明治5年)
- 利兵衛の努力の結晶ともいえる新玉露「大門」を発売し、辻商店としての転機となる